「カンフーダンク」が地方ではほぼ吹替。。。
そんな状況だと聞きました(T T)
都内でもどの程度字幕でやってくれるのか心配になってしまう。。。
といっても、地元は都内ではなく・・・地元も吹替になりそうな感じ。だって「頭文字D」のときはそうだったから(泣)
確かに、子供が見ても楽しめるだろう作品。吹替の上映があっても良いと思う。
でも、吹替onlyというのはさびしいと思うのだけど・・・。
最近は吹替が多いという話を聞きました。
しかも、吹替のほうが人が入るとか。それを聞いてちょっと驚き@@
字幕・吹替それぞれに良さはあると思う。
吹替はやはり子供は字幕というのは難しいだろうしね・・・字幕は字数制限があるというのもたしか。
ただ、最近の安易な芸能人のアフレコというのはどうかと思う。
上手い人はもちろん良いと思う!ただ、皆が上手いとは限らないし・・・下手な人だと映画自体に幻滅してしまう。。。
(この点は経験あり。。。しかも、好きな芸能人の人が思ってたよりも下手でかなりげんなりしたことがあった^^;)
そして、元の演技をしている人の声に近い人がやってくれると尚良いと思う。
(↑日本ではないけれど、「HERO」のトニーの北京語とか)
字幕の良さは、やはり声もその人なのだというところ。。。
声もその人の一部(というか、かなり大きなポイントだと思うのだけど・・・)だから、そこも含めて演技だと思う。
「カンフーダンク」は杰倫の声はもちろんなのだけど、エリックツァン曾志偉の声が吹替というのがどうにも受付られないと思う^^;やはり、あの声も味だから。。。(「頭文字D」のときのチャップマントー杜汶澤の声もかなり違和感あったなぁ。)
その他にも・・・私個人の理由もあるわけでして・・・
なぜこんなに字幕で見たがり、吹替には見向きもしなくなるのか。。。
少し考えてみたんですが・・・、
耳の集中力が無いということに至りました。
そもそも、映画は香港映画に出会うまではほとんど観ていなかった。一年に一本観るか観ないかという状態だった。
見る、という観点を考えたら、
普段読書好き、新聞も毎日読まないと気分悪いな~という活字好き。
小さい頃から読むことが好きだったし、没頭して読んでいた。読書しすぎて疲れたということもほとんど無いし。。。
だから見て読むということについての集中力はあると思う。
そして、聞くこと。
もちろん、日本人TVは見るし、TVに字幕は無い。
でも、TVはさーっと通り過ぎていくようなもの。集中してじっくり見るものではないし、気軽にみるものだから集中力なんてほとんど関係がない(と思っている)
映画はその点、違うと思う。
自分でお金を出して、大きなスクリーンというもので物語を多数の人と一緒に同じ空間で観る。
TVのようにながら見なんて考えられない代物だから、一点集中。
ここで、字幕なしになると・・・
出演者の声・音楽、耳での作業になるわけで。。。
思い返してみても、小さい頃のアニメなどの作品を見るとストーリーを追いかけていくのに精一杯で音楽はほとんど残っていない。
(杰倫が以前、宮崎駿アニメ映画を観るときは音楽がよくて、つい音楽ばかり聴いちゃう。というようなことを話していたことがあったけど、それを聞いて私は全く音楽を聴けてない@@と思ったことがある。)
普段から同時進行というのは苦手だったりするんですが、耳もそうなのね~と思った次第^^;
そこが、字幕だと目でストーリーも追っていける、耳で音楽も聴ける。とにかく集中して映画を観られる。。。
字幕のほうがとにかく楽なんですよねー。
吹替でも集中して見られる方って私から見るとすごいな~って思います^^;
と、私の思うことをつれづれと書いてしまいましたが、もちろん沢山の人がいるわけだしそれぞれ思うことも違うと思います。
こんな私みたいな人はごく少数かなって思いますが・・・中にはこういう人もいるということで・・・。映画を観ようとするときに、選択できる状態であればいいな、と思います。
さてさて、ここからは全く関係のないお話ですが・・・(といっても私の映画という道を切り開いたきっかけの方なので一概に関係無いとは言えないかな?)
触れさせてください^^
トニーさん&カリーナさんご結婚おめでとうございます^^

何だか感慨深いですよ~。
ついに結婚ですね・・・(しみじみ)。
やっぱり2人のbabyが見てみたい^^
2年前の金馬でプレゼンターをしたとき、アンソニーパパがカリーナさんをからかってたのを思い出しました~。過去記事コチラ→
第43回金馬奨 プレゼンター
↑ちょうどその場面の画像です
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